アナリストの眼

「PBR1倍割れ脱却」の対話は国益に資するのか

掲載日:2024年04月04日

アナリスト

投資調査室 長谷部 玲

昨年3月から東証の「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」の要請を受けて、私の担当する運輸セクターでも要請を踏まえた開示が行われております。運輸セクターは重いアセットを抱えるビジネスを営んでおり、PBR(時価総額÷純資産)が1倍割れの企業もいくつか存在します。「PBR1倍割れからの脱却」に対する資本市場からの圧力を受けて、企業が保有する遊休資産などを売却し、収益率を高める経営取り組みを強化すること自体は喜ばしい行為ですが、単に資産を売却して成長投資を抑制し、株主還元の拡充を図るだけでは稼ぐ力が高まった事にはならず、企業にとって、そして日本にとって必ずしも良いこととは言えないと考えます。

バリュエーション実務におけるPBRの特徴

そもそも、株価バリュエーション指標として実務で用いられているPBRを引き上げることが経営の最終ゴール(Key Goal Indicator)として設定されることはありません。評価指標としてのPBRとは、「B(純資産)を土台に、資本負債バランスを設計し、総資産の内在的価値を高め、収益力を高め、株価評価(P)される」という流れで繋がっています。
今回の要請のように、企業価値向上に向けた取組みに課題がある企業に対して意識を高めてもらうことは重要ですが、投資家がPBRのみを用いて安易に横比較評価をすることは正しくありません。「企業の本質」を比較する上では以下の様な点を考慮する必要があります。

1)バランスシートで認識されない資産が、営業上重要な資産になっている点

例えば、サービス業では人的資本(従業員が持つ能力)は物的資本よりも重要であることも多いですが、バランスシート上では認識されません。またブランド価値などの知的資本も同様です。PBRを使った比較を行う際にはビジネスモデルの違いが反映されている事を踏まえる必要があります。
また、連結子会社と持分法適用会社ではバランスシートで認識される資産額が異なる点や、適用する会計基準に応じた減価償却手法の違いを考慮した上で、横比較する必要があります。各企業の資産、負債の会計方針を注意深く見ることで、同業種間でも意外な違いが見つかります。それがPBRの差異に繋がっているケースも少なくありません。

2)企業の将来の稼ぐ力と株主資本コストの差異がPBRに影響を与えている点

残余利益法によるとPBR=1+(将来の残余利益の現在価値/純資産)となります。
残余利益は期初時点の純資産×(当期のROE-株主資本コスト)であり、ROEと株主資本コストの差異(エクイティスプレッドと呼ばれる)がPBRに影響を与えるとの考え方に立つと、(1)ROEを高め、(2)株主資本コストを下げることがPBRを引き上げるために必要であることが分かります。

  • 説明を平易にするために、一部表記の簡便化をしております。

3)財務戦略はその規律の継続性・信頼性が重要な点

足元、PBR1倍以上を目指す対応策として、即時性をもった経営行動として、自己株式取得の様な財務戦略を用いた経営対応が中心になっています。今年度の日本株式市場はPBRが低い銘柄群のパフォーマンスが極めて良好で、特に財務戦略による経営対応を行った企業は、その財務戦略による理論上の株価インパクトを大きく上回るパフォーマンスを記録している傾向にあります。それは市場が規律ある財務戦略を企業が継続することを織り込んでいるからです。こうした財務戦略の打ち出しは東証の要請を真摯に受け止めているという観点で非常に喜ばしい結果です。

しかし経営陣目線では、ビジネスモデルの違いを反映することが出来ないPBRを、単一の評価指標として重きをおきすぎてしまうと、こうした経営対応は「現在の重要資産に対する追加投資を通じてどのように追加的な収益を生み出すか?」という視点から離れてしまい、短期的な株価上昇を誘発するものの、継続的にPBR1倍割れから脱却できるかは不透明です。長期的な企業価値向上には、投資効率を意識したキャピタルアロケーションを構築する事が重要だと思います。

ビジネスモデルの特徴を踏まえた上でPBRを考える

図表:東証33業種の2024年2月時点の単純PBR

  • 出所:日本取引所グループHP「規模別・業種別PER・PBR(連結・単体)一覧

東証33業種のPBRを並べると、PBR1倍を大きく下回っているのは電気・ガス業や銀行業、鉄鋼業や非鉄金属業やパルプ・紙業といった素材関連の業種であることが読み取れます。これらの業種は、何れも営業上重要な資産が財務諸表に計上される業種という特徴がありますが、それと共に、重要な資産を利用する年数も長い傾向があります。一方で、サービス業や情報・通信業といった業種は、PBRが高い傾向が読み取れますが、それと共に対象資産の利用年数が短い傾向(一般的にソフトウェア関連の償却年数は短い)があります。

業種別に俯瞰して見ると、「PBR」と「利用年数」と「稼ぐ力」とには、関係性があるのかもしれません。
近年重要視されている非財務資本(人的資本や知的資本など)への投資は、1)で述べた通りバランスシートで認識されにくいため、非財務資本への投資額が大きい業種は、時価簿価比率が高くなりやすいという見方もできます。となると、単に見た目のPBRの高低差だけをみて企業評価を行うことは正しくなく、高PBR企業であっても、非財務資本の投資が将来のキャッシュフロー(財務資本)を生み出せるような内容を伴っているかのモニタリングが必要になってきます。

建設的な対話を通じた国益の向上

最後に、経済面から見える日本の国力と、企業の成長投資との関連性について考えてみたいと思います。実質GDP成長率が、(1)労働投入、(2)資本投入、(3)全要素生産性の3つに分解した際に、日本では(1)の成長が見込めない状況において、(2)と(3)がより重要になります。人材不足の深刻化が年々強まるにつれ、「限られた資源でいかに労働生産性を向上させるのか?」という課題に対峙する企業は増加傾向です。

足元では、「労働生産性成長率」や、「付加価値労働生産性」と言われるような、就業単位当たりの価値を測り、向上施策を構築することで、成長限界を打破しようという経営取組みに触れる機会も増えて参りました。我々の様な長期投資家が本当に議論すべきなのは、このような、『労働生産性を高めるために本当に必要な投資が出来ているのか?』という切り口の対話だと考えています。

短期視点の、取り組みしやすい株価評価策を見繕ってもらうことに重きをおいてしまい、企業の成長投資までを抑制してしまう事は本意ではありません。それぞれのビジネスモデルの特性を考慮した投資のハードルレートについて議論を交わすことで相互理解を深めた上で、各事業セグメントにおける投資効率について、長期的な視点である「生産性」観点での対話を進めることが対話活動の王道であると考えます。

「稼ぐ能力」を高めることに重きをおいた対話活動を実践し、最終的に国益に資するとの信念を胸に持ちながら、運用パフォーマンス向上に繋げたいと考えています。

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